漆器といえば輪島塗。輪島といえば慶塚。
2020年6月30日
日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。谷崎潤一郎「陰翳礼賛」より
1970年大阪万博が開かれていた頃、万博に行く為の費用を稼ぐ為に御所坊で茶碗洗いのアルバイトをしていた。その時、漆器のお椀は手洗いで一番最後は絹で磨いた。
1982年に御所坊のリニュアルのテーマを谷崎潤一郎にした時に、世界の一流品を紹介する雑誌をたまたま見たら、輪島の慶塚漆器工房の紹介と谷崎のいう漆黒の魅力が紹介されていた。そうだ!御所坊が代々経塚さんと取引をしていて蔵に漆器が眠っている。置いておくのがもったいないか、使うのか!? と考えた時に使う事にした。
傷んでいる漆器は慶塚さんに送り「毎月これぐらいの金額で」と時間をかけて修復していった。そしてそれが出来ると、また次の漆器を送るという事を繰り返していった。
現在でも御所坊で提供しているお椀のほとんどは慶塚さんのものです。
ある時、器を作ろうと考えました。
まず器の大きさの基準を作りました。最小の単位の小皿の大きさを決めて、それが9つ入る箱を作り、その箱を4等分した時に入る皿をつくる・・・
日本料理はどうしても職人の嗜好が入り、それが店に似合っているかどうかわかりません。そこで大きさを決めて、綿貫先生の器をそれに合わせて、すこし小さくしたり大きくさせてもらったのです。
それを有田に送り型を作り、サンプルを作って先生の了解を得てから、先生に字や絵を描いてもらって仕上げるという事をしています。
9つの皿の入った器が出来たのですが、おめでたい時にちょっと華やかさが欲しい!
という事で、中央に朱塗りの同じ形の器を作る事にして、慶塚さんに依頼しました。
2019年の7月に依頼したのですが、ほぼ半年たって出来ました。コロナの問題があったので2020年7月、慶塚のご主人が持ってきてくれました。
これを先生に見せて、実寸大で文字を書いてもらう。それを職人が金で手書きで入れる・・・という作業をこれから行います。
インターネットを使えば色々なモノが買えますが、こだわりを持ってつくりあげるというのも楽しい作業です。この価値をスタッフやお客様に知って頂ければと願っております。