無方庵 綿貫宏介氏に関する年表について
2021年3月07日
- 1926年 熊本県で生まれる。
- 1936年頃 父親の転勤で現在の拠点である神戸に住む。
- 1938年 森永製菓主催で行われた「日独伊親善交換図画作品募集」に、小学生であった綿貫の絵画も出品されたという。
- 1939年 旧制灘中学校入学、中学生から油彩を始める。太平洋戦争開始。
- 1945年 2月、東京美術学校(現、東京芸術大学)を受講、下絵を消す為の食パンを食べてしまったというエピソードもある。
- 1946年頃 関西学院大学入学。大学には学部生、院生、助手時代を含め1956年まで約10年間在籍。
- 1956年 2月、関西学院大学外交史研究より、戦後初のポルトガルへの留学生として渡欧、リスボン大学に在籍。最終学歴は「リスボン自動車学校だ!」と生前よく言われていた。
- 1956年末~1956年初頭頃 彫刻家マルティンス・コレイア(Martins Correia,1910~1999)コインブラの国立マーシャード・デ・カストロ美術館館長でありコインブラ大学教授、国際美術評論家協会ポルトガル部会長のルイス・レイス・サントス(Luis Reis Santos,1898kara~1967)、リスボン国立現代美術館長のディオゴ・デ・マセド(Diogo de Macedo,1889~1959)に出会う。
- ※1957年~1966年頃 ポルトガル航空の招待でアフリカへ、その後、モザンビーク航空、アンゴラ航空、ブラジル航空からも招待され、各地を回る。ブラジル航空の招待の際にはアマゾンも巡った。また、ポルトガル航空の依頼により、海外宣伝用ポスター、畿内パンフレットの絵も手がけた。個展はポルトガルのリスボン、ポルト、コインブラ、スペインではバルセロナの他、マドリード、モザンビークのロレソマルケス(現マブト)、ベイラ、アンゴラのルアンダ、ブラジルのサンパウロで行った。この1966年までの海外滞在で、欧州、アフリカ各地美術館に計38点の作品が所蔵、画集も7冊出版された。
- 1968年 春、再びポルトガルへ渡る。
- 1969年 5月、日本に再帰国。大阪万博のポルトガル館に関わったという。
- 1970年頃、株式会社西山酒造場の酒瓶の模様デザイン。
- ※1966~1975年頃(昭和40年代)神戸にある自宅と離れの茶室をデザイン。本高砂屋、能集紬との交流が始まる。
- 1975年頃 西山酒造場の大吟醸酒を「天楽」と命名、本格的なブランドデザインがスタート。
- 1980年頃 神戸本高砂屋の事業部として鎌倉武家風点心処「無方庵」がスタート。
- 1987年 5月、有馬温泉の御所坊の意匠に関わる事になる。無方庵のDMが、第一回全日本DM]大賞の郵政大臣賞を受賞。9月無方庵宗家設立。
- 1988年 『アイデア=Idea』誠文堂新光社、1988,66-71ページ記事掲載
- 1993年 株式会社宇治園の顧問に就任
- 1994年 アメリカのフィアデルフィア美術館「Japanese Design:A Survey Since 1950」展にて展示。映画ロッキーに出てくる場所だ。
- 1995年 阪神淡路大震災。自宅は建て直しとなり、現在の形に。「家を建てられるチャンスは無い!」と震災の翌日からデザインを始めていた。
- 2000年 『タイポグラフィックス・ティー』215号(日本タイポグラフィ協会)
- ※2000年代 株式会社キタデ、株式会社関門海、株式会社椿き家、勝沼醸造株式会社のデザインを手掛ける。
- 2003年 ホテル ロイヤルヒル福知山&スパ(京都 福知山市)デザイン顧問に就任。
- 2017年 7月~10月、ポルトガルにて、「ワタヌキ アゴラ・メジモ(原題:Watanuki:Agora Mesmo)展開催。巡回展、会場は7月10日~8月31日にリスボンの国立美術協会(Sociedade Nacional de Belas Artes)、9月9日~10月1日にコインブラ国立マシャード・デ・カストロ美術館(Museu Nacional de Machdo de Castro)11月~2018年2月、神戸市のBBプラザ美術館でのコレクション展、「神戸からの時空 アートの旅人たち」にて同館所蔵の風景が作品が展示される。
- 2018年 『無方庵自戒集 無方庵限定私家版』(無方庵 綿貫宏介、2018,9)出版
- 2021年 1月31日永眠される。
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無方庵の空間
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