有馬の“温泉”について さらに詳しく

有馬の温泉は特殊なので多くの先生が有馬の温泉について調べておられる。その中で昔から有馬の温泉を研究して来られた西村進先生と、巽好幸先生の説をご紹介します。

巽 好幸 先生(神戸大学海洋底探査センター教授・センター長)

(1)週刊ダイヤモンド 2017年3月11日より

火山がないのにお湯が湧く有馬型温泉の“起源”の謎

少なくとも一部の縄文人は温泉をコミュニティーの中核としていたようだ。その証拠に長野県の上諏訪遺跡では温泉垢がこびりついた土器が出土するし、各地の温泉近傍から多数の石器が見つかる事がある。

現在国内には3000を超える温泉地がある。これは世界でもダントツだ。これらの温泉は大きく2種類に分ける事が出来る。火山が近くにあるかないかだ。

そして近くに火山がない「非火山性温泉」の一つにお湯の“起源”が長い間謎だった「有馬型温泉」がある。

海水の倍以上の塩分

火山の近くには、高温のマグマが吐き出したガスや熱水が、地下水や染み込んだ雨水と反応してできる「火山性温泉」が点在する。湧出量や源泉数、それに泉質の多様さでも他を圧する大分県の別府温泉は、鶴見岳と伽藍岳の二つの火山の麓にある。

一方、火山からはるかに離れた場所で湧く非火山性温泉も多い。中には源泉が熱くないものもあるが、温泉法によれば、25℃以上の水温と、溶存成分量(総量1g/ℓ以上もしくは特定成分が規程量以上)の基準を満たせば堂々と温泉を名乗る事が出来る。※有馬の妬泉源(うわなりせんげん)では溶解成分量が37.96g/ℓ含まれています超高濃度な温泉です。

非火山性温泉の多くのお湯は、深い場所の地下水(深層地下水)や地層中に取り込まれた大昔の海水(化石海水)に由来する。

化石海水温泉の場合、地下で熱成された有機物が多量に含まれると、まるでコーヒーのような色になる。東京・品川から横浜辺りに点在する「黒湯」がこのタイプだ。

日本最古の温泉説は諸説あるが、湯の峰、有馬、白浜などの畿内の温泉は、弥生時代後期~古墳時代には開かれていたようだ。これらの名泉には80℃を超す“熱い”ものもあるが、いずれも非火山性温泉だ。一方、小説家の志賀直哉が好んだ好んだ城崎温泉は火山ゾーンに湧く。近畿地方の非火山性温泉には共通の特性があり、その代表格である温泉の名前を取って有馬型温泉と呼ばれる。

有馬温泉は神戸市六甲山系の北麓にあり、太閤秀吉をはじめとして関西人にとってはなじみ深い奥座敷である。湯船につかると湯の味を確かめるのが温泉通の習わしだが、有馬の湯はとにかくしょっぱい。海水の倍以上の塩分(ナトリウム、塩素)を含んでいるのだ。

この塩分と水素同位体比(重い水素の割合)を用いると、有馬型温泉の特徴は明瞭だ。多くの非火山性温泉は、化石海水や地下に染み込んだ海水と雨水がミックスされたお湯に対して、有馬型温泉の場合は、明らかに海水と異なる成分が関与している。

実はこの有馬型温泉に特有な成分は、火山性温泉でも検出される。

火山性温泉でも塩化物泉あるいわ食塩泉と呼ばれるものは、有馬ほどではないにしろかなりしょっぱい。有名どころでは、湯河原や熱海などがこの泉質である。

火山性塩化物泉の塩分は、地下のマグマが由来である。マグマに含まれる水分(マグマ水)が火山ガスとして分離する際に、効果的に塩分を抽出して、この塩分豊富なガスが水と反応して塩化物泉を作り出す。しかし、有馬型温泉が湧出する地域に火山は見当たらず地下にマグマが潜んでいるとは考えられない。この事が、有馬型温泉の謎だった。

地下のプレートに直結

有馬型温泉の謎を追う研究者が注目したのがプレートだった。日本列島の地下には、太平洋プレートとフィリピン海プレートの二つのプレートが沈み込んでいる。このことが原因で、地震や火山が集中するのだ。

これらのプレートは、海底を走る大火山山脈(海嶺)でマグマが冷えて固まってできたのが、そのときに大量の水を鉱物(含水鉱物)の中に取り込む。いわば、水を目いっぱい含んだスポンジのようなものだ。これが地球内部へ潜り込むと圧力と温度が高くなるので、スポンジをギュッと握った時のように水を吐き出す。これを脱水分解と呼ぶ。

 

東北日本や多くの「沈み込み帯」では、約100㎞の深さでこの脱水分解が起こり、この水が触媒となってマグマが発生し、それが噴出して火山となる。

一方、近畿地方を含む西南日本の地下に沈み込むフィリピン海プレートは、約2億年前に出来た太平洋プレートに比べるとずっと若く(約2000万年前)、まだ十分に冷え切っていない。沈み込むプレートとしては異常に“熱い”のだ。そのために、深さ70㎞あたりに達すると、自身が融けてしまってマグマになる。そしてこのような熱いプレートでは、脱水分解はずっと浅い所で起こる事が予想される。

もしこのようにプレートから放出された数百度の「熱水」が、地表まで上がってくれば温泉になる可能性は十分にある。しかし、この熱水の塩分濃度が高いかどうかは良くわからなかった。

糸口は、日本列島と同じようにプレートが沈み込むフィリピンで見つかった。2013年、京都大学のチームが、プレートから放出された“水の化石”を含んだ岩石を発見した。そして、この水を分析すると、なんと海水よりはるかに塩分濃度が高く、まさに有馬型温泉の特徴を示したのだ。

つまり、有馬型温泉は、地下数十㎞にあるフィリピン海プレートに直結した温泉だったのだ。プレートの沈み込み速度を考えると、この温泉は今から数百年前に南海トラフから沈み込んだプレートから絞り出された事になる。

 

(2)週刊ダイヤモンド 2015年12月19日より

瀬戸内海と温泉を生んだ1400万年前の火山活動

現在の西南日本には、山陰地方から九州を縦断するように火山が分布している。

これらの火山は、フィリピン海プレートが南海トラフから潜り込むことでつくられる。プレートは約100㎞の深さまで沈み込むと水を吐き出さす。これがクサビ形をしたマントルウェッジと反応し、マグマが発生するのである。

もっと浅い所では、十分な水が供給されない上に温度が低いため、マントルが融けない。このため、海溝に近すぎる地域では火山が出来ないのだ。

ところが、もう少し古い時代の西南日本では、今では非火山地帯となった瀬戸内海沿岸や中央構造線の外側(海溝側)の「外帯」と呼ばれる地域で、活発な火山活動があったことが分かってきた。

証拠はサヌカイト

証拠の一つが「サヌカイト」と呼ばれる岩石だ。石器時代には矢じりなどに使われ、また世界的な打楽器奏者のツトム・ヤマシタがこの石の石琴を演奏したことで知られる。主に讃岐(香川県)で産することからこの名が付いたが、同じような石は九州東部から愛知県まで点々と分布し、その地域は「瀬戸内火山帯」と呼ばれている。ただし火山帯といっても活動したのは1400万年前である。

サヌカイトは科学組成も特徴的である。岩石の主成分であるに酸化ケイ素量でいうと安山岩の部類に入るのだが、普通の安山岩の倍以上のマグネシウムが含まれている。こんな妙な石は地球上にもそうそうないので、サヌカイトは世界中の地球科学者の中でも有名な存在になった。

実は、僕は大学院時代にサヌカイトを研究していた。石の化学組織を調べたり、地下数十㎞に相当する圧力をかけて融かしたりしていた。

すると面白いことが分かった。普通のプレートは融けずに水を吐き出してマグマをつくるのだが、サヌカイトの場合はプレートそのものが融けてしまっていたのだ。このマグマがマントルウェッジの主成分であるマグネシウムを効果的に融かし込んでいたのである。

サヌカイトが瀬戸内火山帯で噴出したころ、外帯でも大量の酸性岩(二酸化ケイ素成分の多い岩石)が生まれた。多くは地殻の中で冷えて固まったのだが、紀伊半島南部ではこの莫大な量のマグマが地表に溢れ出し、阿蘇カルデラの2倍以上の大きさの巨大カルデラができた。最近になってこれらの外帯の酸性岩マグマも、サヌカイトと同じようなメカニズムでつくられたことが分かってきた。

なぜ瀬戸内や外帯では、現在の火山帯よりずっと海溝の近く、普通なら火山の出来ない地域で、プレートが溶けてしまって火山活動が起こったのだろうか?

その鍵は日本海の拡大にある。日本列島が「逆くの字形」になったのは、約1500万年前の日本海の拡大が原因である。拡大に伴いアジア大陸から分裂した東北日本は反時計回り、そして西南日本は時計まわりに回転しながら移動した。

このとき、東北日本の行く手には古くて冷え切った太平洋プレートが沈み込んでいたために、その移動は容易だった。しかし西南日本ではフィリピン海プレートがその前に立ちはだかった。

高温巨大岩帯

プレートは重いからこそ地球内部へと沈み込む。だがフィリピン海プレートは1500万~200万年前、すなわち西南日本南下の直前に誕生した、出来立ての熱いプレートで、素直に沈み込めなかった。このため、西南日本は若いプレートの上に無理やりのし上がってしまったのだ。

ここで1400万~1500万年前の出来事を整理しておこう。まず日本海が拡大し、西南日本は熱いフィリピン海プレートの上にのし上がった。その結果プレートが溶け、外帯や瀬戸内海沿岸で大規模な火山活動が起こった。つじつまが合うではないか!

瀬戸内特有のマグマの発生は、日本海の拡大が原因だったのだ。

瀬戸内海を生んだ火山活動の名残は、紀伊半島でも認められる。地震波の伝わり方や地磁気変動などのデーターによると、紀伊半島の地下には、数百度以上の高温の岩体がある事が分かってきた。

こんなに高温、すなわち軽い巨大な岩体は大きな浮力を生み出す。そのために紀伊半島は隆起し、高い山が並んでいるのだ。また、こんな高温岩体が地下に潜んでいるからこそ、湯の峰や白浜温泉に90℃以上超の高温自噴泉が湧くのだ。

この岩体の正体は何か?

ここで注目すべきは、この高温領域の一部に外帯酸性岩が露出していることだ。この岩体は1400万年前にプレートが溶け、大量にできたマグマが冷え固まったものである。地球の内部は地表よりずっと温度が高く、マグマが個体となっても冷えにくい。それ故に1400万年前のマグマの熱が紀伊半島の地下に残っているのだ。

このような外帯酸性岩と隆起域の関係は他の地域でも認められる。愛媛、宮崎、鹿児島各県の最高穂は外帯酸性岩でできている。唯一の例外は四国南東部あたりだが、鉱床の特性などから地下に同様の岩体が存在すると推定できる。

つまり紀伊半島から九州南部に及ぶ範囲に1400万年前のマグマ活動の名残が存在し、この領域が隆起しているのだ。同様の事が四国北部でも起きているようで。瀬戸内火山帯の余熱で、高松周辺と高縄半島(愛媛)は盛り上がり、北に突き出している。

 

(1)週刊ダイヤモンド 2015年11月14日より

日本列島の形を決めた1500万年前の大変動

日本列島はタツノオトシゴのように、アジア大陸の東縁部から太平洋へ弓なりにせり出した形をしている。

この形は、プレートが沈み込む海溝が、ピンポン玉をへこませた時の縁と同じように湾曲する事と大いに関係がある。この縁に沿って火山島が誕生して陸地が広がる事で「弧状列島」と呼ばれる形になるのだ。

日本列島の特徴は、単一の弧状列島で無い点だ。周辺に四つものプレートがせめぎ合い、その結果、五つの弧状列島が存在している。

その中の2つ、西南日本孤と東北日本孤が「逆くの字形」に接合しているために、列島は弓形になっているのだ。

アジア大陸から分裂

日本列島の形状について、初めて科学的に論じたのは戦前活躍した物理学者寺田寅彦。1927年、「日本海沿岸の島列に就いて」という論文で、アジア大陸の一部だった日本列島が大陸から分離し、その結果、日本海が誕生したと論じた。その10年ほど前に出たウェゲナーの大陸移動説を取り入れ、自らの観察と理論を組みっ込んだ先進的な説である。

彼が注目したのは、日本海側には壱岐・対馬や隠岐島、佐渡島、飛島、奥尻島など大小の島々が分布するのに対して、太平洋側にはそのような列島が見当たらないことだった。原因を考えるうちに、日本海の島々は列島がアジア大陸から離れて太平洋側へ移動した際に取り残された破片だという推論に至ったのである。

寅吉の仮説は半分正解で、半分は間違いであった。現在、これらの島々の多くは火山島で大陸的な地質でない事が分かっている。

大陸が分裂し、その隙間に海が誕生する。この奇想天外なウェゲナー説と寅彦説は、いずれも保守的な学界では受け入れられることなく一時は忘れ去られてしまった。

しかし後になって、それえぞれプレートテクトニクス、日本海拡大説として再興するのである。これらの復活劇に大きな役割を果たしたのが「古地磁気学」だ。

岩石の中には磁石の性質を持つ鉱物が含まれている。この「磁性鉱物」が磁石となるのはある温度以下に限られており、その温度は「キューリー点」と呼ばれる。

岩石中に最も普遍的に含まれる磁性鉱物は磁鉄鉱で、キューリー点は約600℃。高温のマグマが冷え固まる過程でこの温度以下になると、磁器鉱は磁石の性質を持つようになり、地球磁場の下で磁化を獲得する。

従って、岩石が持つ微弱な磁化を調べることで、岩石ができた時代の地球磁場の向きや強さを推定する事ができるのだ。このように「地球磁場の化石」を調べるのが古地磁気学である。

「北」の向きが違う

60年代、日本列島の岩石を調べていた京都大学のグループは、ある妙なことに気付いた。

比較的新しい岩石は、当然ながら現在の地球磁場と同じ北向きの磁化を示す。しかし、数千万年前の岩石は「北」の方向がずれていた。西南日本では北東方向が「北」の向きを示したのである。

その後、放射年代なども解析すると、磁化方位の変化は約1500万年前に起こったことが明らかになった。このことは、この時期に西南日本は時計回り、東北日本は反時計回りに回転したと考えればうまく説明する事ができる。

まるで「観音開き」のように開いてアジア大陸から分裂・移動した日本列島と、大陸の間にできた隙間が日本海なのである。逆に日本海が拡大することで日本列島が大陸から分裂、そして開店・移動して、現在の弓なりの姿となったということもできる。

その後、列島の移動様式をさらに詳しく調べるために、日本海の6地点での海底下掘削が国際プロジェクトとして実現し、日本海全域の地下構造調査なども進んだ。

これらの結果、アジア大陸の分裂そのものは約2000万年前から徐々に始まり、1500万年前に一気に日本列島が回転したことが明らかになった。加えて日本海の海底には、アジア大陸と同じ岩石でできた地形的高まりが点在することも分かってきた。

これらは日本列島がアジア大陸から分裂して移動する際に拡大した日本海の中に取り残された大陸の破片だ。寅彦の着想は姿を変えて蘇生したといえよう。

1500万年前に起こった列島大移動のスピードは、年間数十㎝にも満たない。いかに1500万年前の大地動乱が激しいものであったかが想像できよう。まるでモーターボートのように疾走した当時の日本列島では。間違いなく巨大地震が頻発していただろう。

この大変動は激しい火山活動も引き起こす。新しく誕生した日本海の海底は、冷え固まったマグマに覆われた。このような海底火山活動では、マグマによって熱せられた海水が地下を巡回し、その結果「熱水鉱床」と呼ばれる金属鉱床をつくることがある。現在は全て閉山してしまったが、東北地方の日本海側を中心に銅・亜鉛・鉛を高品位に含む「黒鉱鉱床」を採掘した鉱山が点在している。

明治日本の近代化を担った黒鉱鉱床は、日本海の誕生によって形成されたものだった。

 

西村 進 先生